厳かな思い出

2日に母方の伯母が亡くなったので,そのお葬式に出るため,金曜日の仕事が終わってから三原に帰ってきた。享年58歳。
伯母は生まれつき心臓病があり,体が弱かった。中学生の頃,初めての手術を受けたそうで,多分その後も何度か手術を受けていて,胸のまんなかには大きな手術痕があったのを覚えている。教員免許をもっていたそうだが,体調を気遣ってか教職には就かず,私が小学生の頃は家で学習塾をやっていた。時間になると生徒が自転車でやってきて,伯母が教材やラジカセを持って塾用の部屋に上がっていく。まだ幼い私には中学生のお兄さんお姉さんと伯母の親密な雰囲気が秘密めいたものに感じられ,どきどきしたものだ。
物静かで読書が好きで,伯母の寝室や書斎にはたくさんの本が積まれていた。美人でおしゃれな人だった。伯母は独身だったからか,小さな頃から私たち姪や甥のことをすごくかわいがってくれた。両親や,同じく子どものいる他のおじ・おば達とは私たちに対する扱い方が違っていると幼心に感じていたが,今から思えば小さい頃から私たちのことをひとりの人格ある人間として尊重してくれていたように思う。私は伯母のことが好きだったし,やたら女の多い伯母の親戚の中でもとりわけ「あんたはおばちゃんに似ている」と言われるたびに誇らしいようなくすぐったいような気分になった。
私が中学生の頃に脳梗塞で倒れた。一度目は歩行器を使えば歩ける程度に回復したものの,その後も何度か倒れ,数年前からは自力歩行は困難な状態になった。喋ることが難しくなり,会話は筆談が中心だった。多分,思考は比較的クリアだったのではないかと思う。けれど,それを不自由な手でノートに書かなければならない。思考のスピードに,アウトプットのスピードや読み手の理解するスピードが追いつかず,もどかしそうな伯母を見ると申し訳なかった。
そんな最後の数年間,お見舞いに行くと笑顔を向けてくれたけれど,やはり険しい表情に戻ることも多かった。金曜の夜,やっと家に帰れた伯母と対面して,久々に見る穏やかな表情に少し安心した。三原への新幹線の中,長年苦しい思いを続けてきた伯母の人生が幸せだったのだろうかと考えていたが,それは私が決められることではないし,少なくとも最後の瞬間を穏やかに迎えられたのなら救われると思った。
変な話ではあるがお葬式が土曜日だったのでよかった。ちゃんと帰って,最後に伯母に会うことができてよかった。あっけなく伯母は骨になり,骨壷にすっかり収まってしまったが,お葬式は,残った者が親しい人の死に向き合い,区切りをつけるためにあるのだと強く実感した。
伯母は俳句を趣味にしていた。今年のお正月にもメールをくれたのに,ちょうどひと月で亡くなるなんて,無常としか言いようがない。

スマート姉まんまる妹お年玉
庭白く談笑響く二日かな