駒場祭特別演奏会

今年のまだ寒い頃に曲決めが始動して、6月に音出し全奏で、サマコンの終わった8月の夏合宿から練習が始まって。長い駒祭シーズンが、今日、クライマックスを迎えた。祭りは終わった。
曲決めの頃の自分の心理が謎である。どうしてブラ2を推すなどという畏れ多いことができたのか。馬鹿としか言いようがない。「こうしたい」「これが演奏したい」という気持ちを尊重することは大切だが、私の状態ではさすがに無責任である。過ぎ去った事柄についてのifは仮定法に過ぎないが、何度後悔したことか。
それでも音出し全奏の頃は、11月までには何とかなるんじゃないかと思っていた。なんと楽観的な。さすがoptimistな私である。実際半年という時間は長い。しかし、言い訳がましいがサマコン期間中はモチベーションを失っていたことも手伝ってあまり実りある時間とはならなかった。
夏合宿では、初日の全奏前に緊張のあまり胃痛が起こった。9月。自主分を行おうにも、自分が吹けてない。それでもレッスンに行って、少し改善される。それなのに、秋合宿初日の分奏。夏合宿と何も変わらない状態に戻っていた。全く同じ注意を受け、みんなの時間を無駄にした。申し訳なさと不甲斐なさで、さすがにその晩は涙がとまらなかった。そして次の日、当面の差し替えを提案された。ショックだったけどある程度は予想していたし、先生の心遣いも伝わってきたし、何より自分が吹けないのだから固執しても仕方ないと自分を納得させた。でも、ソロを吹く人間が変わっても何も言わないみんなが結構怖かった。あたたかく見守っていてくれているんだとポジティブに解釈していたけど、練習後はみんなの目が見れなかった。
10月。定期の練習がちょこちょこ入っていたが、息抜きというか逃げ場所になっていた気がする。月木の朝はとにかく憂鬱だった。それならさらえという話だが、ひとりでさらっている時にはできても分奏ではできなくて、分奏ではできても全奏ではできない。その繰り返し。差し替えのことは先が見えなかった。何か掴みかけても、するりと抜け落ちてゆく。そんな10月も終わろうという頃、木管自主分に呼んでもらった。大して吹けたわけじゃないけど、少し楽しかった。ちょっとした転機になったかも知れない。
11月あたま。風邪をひいて久方ぶりに発熱。一度分奏を休んだ。ごめんなさい。布団の中で、このままトップが替わった方がいいのかも知れないと思った。それでも、ソロは全奏で何度か代吹き状態で臨んだときに吹けたので、大丈夫かなと思い、HCD前に譜面どおりに直す。結局、継投策を立ててHCDに臨んだが、撃沈した。本番中、GPでの失敗が脳内フラッシュバックしたと思ったら、その通りになってしまった。本番後、どういう顔をしていればいいのか分からなかった。さしあたり「普通に」接してくれるみんながやっぱり怖かった。申し訳なさと不甲斐なさで爆発しそうだった。
17日にレッスンに行った。自分で言うのも何だが1時間でかなり変わった。絶対これを逃すまい。そう誓ったのに、2日後のトップ分奏、3日後の最後の全奏では目立った進歩なし。オケ全体でやってうまくいくことはないんじゃないかという絶対的な不安がよぎる。
それでも駒祭は始まって、前日準備から2日目までは喫茶が忙しいことを理由に演奏会のことを考えまい考えまいとしていたかも知れない。現実味も湧かなかったし。そして迎えたステリハで久々に冒頭を外す。凹む。
夜はさっさと布団に入った。明日が来るのが怖かった。本番中に音が消えて、場が凍って、レセプションに出るどころではない自分を何度も想像した。想像するなら逆のシチュエーションこそをすべきだが、とてもそうは出来なかった。
それでも無情に朝は来た。時間は刻一刻と過ぎ、いつの間にか本番衣装に着替え、場外の仕事をしていた。予想を上回るお客様の列ができたが開場は滞りなく行われ、無事開演を迎え、舞台袖でスタンバイ。前曲が終わり、ステージに上がる。エグモントは楽器が温まる暇もなく終わってしまった。情けないことにいつもよりも音を外してしまい、更に不安が募る。
休憩中にトイレに行ったら鏡があった。鏡に写る自分に向かって自己暗示。できる・できる・できる・できる。若干気持ち悪い。でもYI先生もそうしろと言ってたし。。。
現状で頭がいっぱいになるあまり忘れそうだったけど、10月半ばに決めたことがあった。それはBOSSが亡くなったときのこと。いつのレッスンの時だったか、ある先輩のエピソードを教えて下さり「お前にも劇的に伸びてほしい」と静かに励まして下さった先生。結局成長した姿を見せられないまま、先生は逝ってしまった。せめてもの恩返しをしたいと思った。1楽章のソロは先生に届けようと決めた。
鏡に向かって今一度その気持ちを確認した。そして、とにかく丁寧に吹こうと思った。一応私にだって、もっとこう吹きたいという理想はあるのだけど、どうもそれを可能にする技量が足りない。でも、丁寧にやれば絶対に出来るだろうと思った。丁寧に、丁寧に。今までの半年間のすべてを集めて、丁寧にうたおう。
舞台に上がった。指揮者が入場して、オケ全体が立つ。絶対見まいと決めていた2階席を見上げると、沢山の見慣れた顔が目に入り、早くも泣きそうになった。でも多分これは、これから始まる本番に対する恐怖による涙だったのだと思う。再び座った。先生がまずは低弦に、そしてホルンに向かって視線を送り、微笑んだ。私も笑い返したつもりだけど、絶対ひきつっていた。タクトが振り下ろされた。思わず一瞬目をつぶって、祈るようにブレスをした。
2楽章が終わるまでずっと心臓がドキドキしていた。3楽章からは表情が取り戻せた。レセプションでは「楽しかった」と言ったが、本当に楽しんでいたかは実は甚だ疑問だったりする。最後のD-durのコードが響き渡り、立ち上がって再び2階席を見遣った時、正直充実感よりも肩の荷が下りたという安堵の方が大きかった。
アンコール降りだったのですぐアンケート回収に向かった。閉演を迎えてお客様、そして駒場OBの面々がぞろぞろと出て来る。色んな人があたたかい言葉をかけてくれて、本当に嬉しかった。久々に心から笑った気がした。序列をつける訳ではないが、その中でもよかったと言って貰えて特に嬉しかった人たちがいて、それは金管の先輩達と、パトリのふたりである。尊敬する先輩によかったと言って貰えたときは本当に涙が出そうだった。MいMいは苦労を共にした感がすごくあって、いつも率直にコメントくれるだけに、笑顔でよかったと言ってくれて本当に嬉しかった。チームI''sのお兄さんは普段口数が少なかったので余計に嬉しかった。しあわせだなぁと思った。


すべてこれでよかったのかと言われると、そうではないと思うけれど、他にやりようがあっただろうと言われても、その時その時はそうしかできなかったのだと思う。何はともあれ最後の駒祭が終わった。無理矢理に意味づけを行うのはたやすいけれど、今はそれをしたくない。1年後にその意味がわかるという先輩の言葉を私は信じる。
みんなと、そしてきっと導いて下さったBOSSに、精一杯のありがとうを。