いつだってちょっとだけ間に合わない

現実逃避以外の何物でもないんですが……見てきました。しょい!

阿部寛演じる失業中の男の人が、再婚相手とその息子とをつれて、ひさびさに里帰りする夏の一日を描いた物語。実家には阿部ちゃんの姉一家も来ていてとてもにぎやか。
私は映画を語れるほどたくさん見ているわけではないし、是枝監督の作品にしても「誰も知らない」とこれしか見ていないので、そのせいもあるかも知れないが、とにかく、この監督はこどもの情景を撮らせたらピカイチなんじゃないだろうか。3人のこどもが、道端の木からこぼれるように咲いていた花を掴もうと手を伸ばすシーン、その手と花だけのカットはなんともきれいで、希望にあふれていて、どこか残酷さも感じられて、今日いちばん涙腺が刺激された瞬間だった。他にも、こどもたちだけのシーンを見ていると、自分もあの夏の日々に帰ったようで、甘酸っぱくも心躍る気持ちがした。夏休みのおばあちゃんちって、たくさんの親戚が集まっていて、大人とこどもの空間が区別されている。大人の干渉なく、こどもだけでいろんなことができちゃうスリル。ちょっと大人になったような照れくささ。長回しを多用したドキュメンタリーのようなフィクションを見ながら、そういった生々しい感情をたくさん思い出してなんだか胸が苦しくなりました。
他にも、だんだん阿部寛が自分の父親に見えてきたり、樹木希林も自分のおばあちゃんに見えてくるし、義母と嫁とのぎくしゃくした感じにも既視感があり……と、とにかく自己投影しまくって見てしまった。普段はあまりそういうことはしないのだけど、この映画は、たくさんの人の思い出の引き出しにつながりやすい要素が詰まっているのではないかと思う。何気ない会話の一つ一つもリアルな“家族感”を醸しだしている。ラストのワンシーンまで、互いにどう思っていようとも愚かなほどに繰り返しを続けてしまう存在としての家族を描ききっている。小津映画を見てみたくなった。
上映終了後、携帯の電源を入れたら着信のお知らせがあり、父からの電話だった。その後メールもくれていたので用件は分かったし、それに返信すれば充分だったのだが、直接話したくて電話をかけた。阿部寛、お父さんと似とったわ――って言ったのだけど、ルックスのことだと勘違いしてたらどうしよう。
ちなみに、私は映画を見に行くときは基本ひとりですが、今日ひとり映画のさらなるメリットを発見しました。それは、座席指定の映画館の場合、上映間際に行ってもひとりなら、結構いい席に紛れ込めるということ。というのは、最初からつめつめで指定券を発行するのではなく、あるお客と別のお客の間は開けておくものらしいのだ。今日は「隣あわせになりますがよろしいですか?」「はい構いません」と言ったらいい席に座れたというお話でした。うーん、レビューってうまく書けないな。