視点を変えるということ

毎日が単調に思えて仕方がなかった時期があった。
同じ道を通って、同じ物を見て、同じ顔に会って、そしてまた同じ道を通って。変化なんて何もないような気がして、自分はまるでRPGの登場人物で、答えが見つからないまま同じステージ内を彷徨っているようにも思えた。ツマラナイという感情が、常に心のどこかにあった。
それが、ある時――正確に言えばある瞬間を境に、私の心境は一変した。あの時、私はある友人の意外な一面(というか私の知らなかった一面)を発見したのだった。そして思った。
(私はちっとも“同じ顔”になんか会っていない。)

大したことではない、と感じる人は多いだろう。私自身、そう思っている。
しかし、だ。
視点を変える、なんていうことはつまり、そういうことではないのだろうか。同じだと思っていた風景のわずかな違いに気づいた時、冷たいと思っていた人の温かさに気づいた時、そしてツマラナカッタ日常がジュウジツシタ日常に変わった時。そういう時は、私たちが視点を変えることの出来た時にこそ訪れるのではないだろうか。
あるものが無意味に思え、それに対して何の興味も関心も湧かない。――こういう悩みは案外、一種の固定観念に起因しているのかも知れない。

中二のときに書いた文章が、生徒会発行の文集に載っているのを発見した。帰省最終夜恒例の思い出発掘ツアーである。
先頃、大発見だと思った事柄と、大差ない内容が書かれている。しかも文体もほぼ変わっていない。なんて成長のない自分。仄かに悲しい。