道徳教育

10年ぶりに教育指導要領が改定されるらしい。円周率は3.14に戻り、都道府県名は再び全て覚えなくてはならなくなり、総合の時間は減り。そして道徳教育に力を入れていくらしい。
小学生の頃、道徳の授業が嫌いだった。何を聞かれようが、答えなんて最初から分かっているのだから。そもそもが当たり前のことなのにどうしてことさらわざわざ授業で勉強しなきゃならんのだ、と思ったし、先生が言ってほしい答えなんて考えなくても分かる、と思っていた。当時優等生だった*1私なりの反抗として、道徳の授業中は発言しないこともしばしばだった。私が通っていた学校はいわば研究のための実験校であり、道徳専任の教師もいたが、それでも授業が面白いという風には思わなかった。むしろ、一人の道徳の教師などは、普段の言動が子どもの誇りや気持ちを踏みにじるようなものばかりだったので、何でそんな奴に偉そうにひとのみちを説かれなければならないのかと憤りを感じていた。
道徳教育は本当に必要で、有効なのだろうか。教訓を滲ませたエピソードを子どもに読ませれば、その教訓が子どもの身につくのだろうか。教育全般が根本的にそういう性格を持ってはいるだろうが、それだとただの刷り込みじゃないか。そうなると何を刷り込むかが決定的に重要になってくるが、対象となる教訓は誰が・何を・どのような基準で選ぶのだろうか。そもそも「道徳」とは何なのだろうか。
少なくとも私は、例えば心に残っている道徳の授業、なんて特にはない。強いて言えば、中学校の頃の道徳副読本で『赤い実はじけた』*2をやっと読むことができて嬉しかったことを覚えているくらいだ。

*1:多分ね。

*2:私の通った小学校の国語教科書には載っていなかった