M君の死

今日は放送局バイトの日。バイトまで学校でさらっていたのだが、せっかくだから副都心線を使って行ってみよう!なんて思ったのが運のつき。二食から仕事場まで、ずっと走り通しだった。それだけで疲れた。副都心線は、どのホームも地下鉄とは思えないほど明るくて清潔感に満ち満ちていたのが印象に残っている。
今日の大きなニュース項目としては、その副都心線を責め立てるニュースと、そして何より頭の項目は、宮崎勤の死刑執行。「宮崎死刑囚の部屋(当時)」みたいな映像が使われていて、ああこれがあの悪名高い、と思った。そんなの今更使うなよと思いつつ。それ以上にひどいと思ったのは、なんとかという作家*1が、先日の秋葉原通り魔事件にも触れつつ、「すべての原因は家庭にある」というような言い方をしたことだ。どうしてそんなミクロな次元にすべてを帰すのか。確かに、犯人に「自分は悪くない。全部社会が悪い」などと居直られても困るし、すべての原因を社会や時代に求めるのも愚かしいとは思うのだが、それにしたって彼の理論はナンセンスだと思った。「規範意識とは親兄弟に迷惑をかけたら申し訳ないと思うこと」って、それ本気ですか。まぁ、全く同じような主張が、今日の朝日新聞の声欄に載っていたのだが。
なんにせよ、すべてのことに明確な原因を求めすぎだと思う。不可解な出来事が起こったとき、なぜと問い意味を与えようとするのは当然の人間心理だとは思うけれど、それらしく分析したり解説したりしているようで、結局のところ二項対立型というかオールオアナッシングというか、みたいな単純な構図に落とし込んでいるだけだと思うのだ。そもそもこの世は混沌であるというのに。

*1:追記:佐木隆三氏でした